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藤川まちづくり協議会
藤川宿には数々の浮世絵が残されています。
歌川広重、葛飾北斎、歌川豊広、渓斎英泉等が描かれた浮世絵があります。
歌川広重 棒鼻ノ図
このシリーズは歌川広重の出世作とも言える代表作で、中心となった版元名により保永堂版と呼ばれる。 このシリーズの刊行については天保3年(1832)広重が幕府の八朔の御馬献進の一行に随行して上洛した体験によるものとする説がある。 本図はちょうど朝廷に献上する馬が藤川宿東の棒鼻に入ってくるところを描いている。 宿場の出はずれを棒鼻といったが、そこには境を示す宿囲石垣とともに傍示杭が立っていた。
葛飾北斎
歌川豊広
「酒肴品々」の看板の店先で馬上武者を振る舞う風景を描く。「藤川のしゅくの棒はなミわたせハ杉のしるしとうて蛸のあし」と記される。 藤川宿の棒鼻の茶屋が軒ごとに生肴をつるしていたことは十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』にも記される。作者の歌川豊広(1774~1829)は歌川派の祖豊春の門人、豊広の門下には広重がいる。 藤川小学校校門前に句碑がある。
歌川広重 棒鼻ノ図
このシリーズは歌川広重の出世作とも言える代表作で、中心となった版元名により保永堂版と呼ばれる。 このシリーズの刊行については天保3年(1832)広重が幕府の八朔の御馬献進の一行に随行して上洛した体験によるものとする説がある。 本図はちょうど朝廷に献上する馬が藤川宿東の棒鼻に入ってくるところを描いている。 宿場の出はずれを棒鼻といったが、そこには境を示す宿囲石垣とともに傍示杭が立っていた。
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