藤川まちづくり協議会
松並木
藤川の松並木は1604年東海道の両脇に植えられた松並木で二代将軍秀忠が家康の意を受け、東海道を整備した時に植えられた。この松は旅人には、夏は木陰、冬は防風林となり、藤川町の西端から1km弱の間にクロマツ90本植えられている。昭和38年市指定天然記念物となる。最近は道路の整備や台風や松クイ虫で減少しているが、
補植や保護活動によって旧態は維持されている。
藤川の財産
松尾芭蕉句碑
【ここも三河むらさき麦のかきつはた】
十王堂の横に松尾芭蕉が詠んだ旧碑、新碑が二つ建っている。旧碑は1760年ごろと推測される。
東海道藤川宿は品川宿から数えて第37番目の宿場町で1601年の伝馬朱印状が発給されて宿場町なりましたが、規模が小さく、隣の市場町68戸を移転させて、現在の宿場町の形が整えられました。天保14年(1834)の記録宿村大概帳によると、戸数302、本陣と脇本陣各1、問屋場1、旅籠屋36、宿内人別1213人でありました、宿場町の主な業務は人馬の継立、旅人への休泊施設の提供、飛脚業務でありました。
藤川には、東海道宿場町の昔ながらの貴重な財産が数多く残っています。
1.松並木
2.松尾芭蕉句碑、十王堂
3.脇本陣跡(現在:資料館)
4.本陣跡(現在:高札場)
5.米屋(現在:小箱ショップ)
6.幻のむらさき麦
7.東棒鼻、西棒鼻
8.広重や北斎等の浮世絵多数
近年では、道の駅藤川宿や地域交流センターむらさきかんがオープンしています。
また、地元の藤川小学校や愛知産業大学、愛知学泉大学ともご協力を仰ぎ、
町屋保存やむらさき麦使用の食文化の研究を行っています。
脇本陣(資料館)
街道に面した入口の門構えは脇本陣・大西家の門で江戸後期の面影を留めている。また、明治22年には藤川村役場として使われてきた。現在は資料館となり、宿場町の原点とも言える伝馬朱印状の写真パネル(原本は家康館)や江戸時代後期の藤川宿の町並み模型、高札3枚(300年前)、民家に保管されてきた日用品等が展示されている。
本陣跡
本陣跡は現在、高札場となり、各パネルが展示しています。本陣の面影は城壁のような石垣を残すのみとなっています。この石垣のところに
カラムシ(繊維をとり、麻縄や網袋等に使用)の自生地があります。また、5月になるとむらさき麦展示栽培がおこなわれている場所です。
むらさき工房
当協議会会長宅の裏庭にむらさき工房があり、ここでは、収穫したむらさき麦を加工している。
むらさき麦茶や石臼でひいて、粉にして業者に販売している。また、むらさき麦を使用した食品を研究している。
幻のむらさきむぎ
国道1号線をはさんで、道の駅のななめ向かい側に栽培地があり、毎年11月に種をまき、翌年5月末ごろ収穫されます。また、オーナーになることでだれでも参加できます。毎年5月中旬ごろ【むらさき麦祭】が開催されています。
むらさき麦とは高野麦(紺屋麦)で、麦穂や茎の部分が紫色に変色するので、こう呼ばれていたらしい。戦後まで細々と作られていましたが、いつのまにか作らなくなり、幻の麦となりました。
それを松尾芭蕉句碑にちなんで藤川宿に再現したいと願い、地元の人々によって復活栽培となりました。
藤川のお寺・神社
藤川には伝誓寺、称名寺、明星院、徳性寺等があります。
各々お寺には昔の言い伝えが残っています。また、関山神社(葛飾北斎の浮世絵には赤山大明神)、津島神社があり、藤川宿を守っています。
徳性寺の横には藤川稲荷があります。1714年と1719年に藤川で大火があり、43戸と55戸が焼失しました。そのどちらとも1匹のキツネがつるべを銜え、屋根屋根を飛び回り、火事が起こることをしらせたのでないかという伝えがあります。
道の駅藤川宿
400年の時を経て、国道1号線を往来する人々の憩いの場に、2012年12月オープン。
コンビニストア、軽食コーナー、産直コーナー、きらり岡崎コーナー(岡崎の名産品紹介)、イベントスペースがあり、終始にぎわっています。
協議会も道の駅の協力を得て各種イベントに参加しています。軽食コ-ナーではむらさき麦入りうどん、きらり岡崎コーナーではむらさき麦入り甘酒や浮世絵絵はがき、ボールペンも販売しています。また、イベントの時はむらさき麦入りたこやき販売もしています。
十王堂・成就院
(江戸時代中期1710年頃)
十王堂は地蔵菩薩と十人の冥官が祀られている。
瓦葺き・切妻屋根
木造2階建て
米屋(現:小箱ショップ)
旧東海道の37番目の宿場町として栄えた藤川宿は、全盛期には百棟以上の軒を連ねた町屋は、維持管理や生活環境の変化により、次々と解体されていった。現存する町屋の一つが米屋である。今から約150年前に建てられ、米穀商として地域経済の中心を担っていました。内部は日本の伝統建築である堅牢な柱や梁の構造、部屋を有効に活用するための階段、広い土間など、当時の暮らしを偲ばれることができます。小箱ショップは多くの人々に愛されきましたが平成29年3月12日で終了になりました。米屋は岡崎市の景観重要建造物に指定されていますが現在は内部をみることができません。
西棒鼻
棒鼻とは、宿場町の出入り口のことで、西棒鼻(藤川小学校前)には歌川豊広の句碑があります。【藤川のしゅくの棒はなみわたせば杉のしるしとうて蛸のあし】と刻まれている。
東棒鼻
棒鼻とは、宿場町の出入り口のことで、東棒鼻(市場町の東)には歌川広重の東海道五十三次の棒鼻ノ図浮世絵があります。
吉良道票・藤川の童謡(茶壺の涙雨)
〽ずいずいずっころばし、ゴマみそずい、茶壺に追われて、とっぴんしゃん、ぬけたらどんどこしょ、隣のねずみが、米くってちゅう、ちゅうちゅうちゅう、おとっさんが呼んでも、おっかさんが呼んでも、行きっいこなーしょ〽 と吉良道の分かれ道辺りで歌われたらしい。
江戸時代に幕府が毎年4月か5月ごろ宇治茶を茶壺に入れて江戸まで送らせた行事で、この行列を茶壺道中と言い、この行列が通るときには、子供たちは家にこもって戸をしめたのでこんな歌ができたのでしょう。
歌川豊広(広重の師匠)の浮世絵狂歌には【藤川のしゅくの棒はなみわたせば杉のしるしとうて蛸のあし】と詠まれています。当時は杉玉と茹でた蛸のあしを玄関先にぶら下げてお客に酒をふるまっていたのだろうか。また、十返舎一九の東海道中膝栗毛の中にも書かれています。まちづくり協議会ではこの狂歌と幻のむらさき麦をヒントにして、【むらさき麦入りのたこ焼き】をイベント毎に販売しています。
たこ焼きと藤川宿
むらさきかん
岡崎市内4番目の地域交流センターとして、2012年8月にオープンしました。市民活動の支援を主な役割としています。
館内にはホールや活動室等があり、子育ての支援や災害時の活動拠点となっています。